デヴィッド・イーグルマンが、TEDトーク「人間に新たな感覚を作り出すことは可能か」をご覧になった方はいるだろうか?体に振動デバイスが内蔵されたチョッキを着ることで、肌に振動が伝わる機能が備わっているのだが、このことで聴覚障害者が音を感知出来る様になるという。繰り返しのテストで実証されている。脳は五感から入ってきた情報(神経信号)を汎用性高く使い方を見出すという。このことで視覚障害者でも目の情報を音声や振動、熱等での増幅、細密化デバイスで視覚情報の代替が出来てしまうところまで判明している。肌のビリビリする感覚とか、相手の熱が伝わるというのは比喩やレトリックではなく、共通感覚ではないだろうか?
脳梗塞、脳性麻痺等で脳の機能が麻痺や細胞が使えなくなっても、ミラーによるリハビリや補助デバイスで生きているシナプスからネットワークを再構築出来る治療法がある。また、この著書にも書かれている文字や音に色を再現される等の「共感覚者」、逆さ眼鏡の実験のことも書かれているが、脳の柔軟な情報編集機能によるものと今では判明している。
ということは、脳はかなり周辺の環境によって割と柔軟に入ってくる情報データを見出すことが最近の脳科学で解っている。ということは、背中に目があるという剣の達人とか、肌で匂いを感じるということは脳の分節性のエラーではなくて、神経増幅による「訓練」で可能と、現代では可能と考えられる。まあそれが全てこの理屈で判明するかどうかは不明ではあるけれど。印刷業界やカラーコーディネーターの業界では、知られているが、光の三原色以上の第四視覚を持っている人が稀にいる(女性に多いらしい)。どこがどう違うのか一般の人には不明ではあるがその差異がある様だ。
今までは「非科学的」な「超能力」と考えられていたことが、現代科学ではもしかして、過敏な五感情報認識が出来る人間による、能力で意識下では本来聞こえない音も無意識レベルで認識しているケースだと見受けられる。
共通感覚も、ルネサンス期による「遠近法」の発見で風景の二次元化を可能にし、その方法の革命がマニエリスムと呼ばれる視覚をはじめとした認識革命を呼び起こしたといえる。
共通感覚とは、この五感情報を分解せずに、複合的に組み合わせた知覚のことを言い、著者はその<常識>が感覚を置き忘れて社会的な意味だけになってしまったと指摘する。私もヴィーコの「
新しい学(上) (中公文庫)
」「
新しい学(下) (中公文庫)
」を再読しているときに、この「共通感覚」という語彙に行き当たり、20年も前に読了したこの著書を再読してみた。
著者も指摘しているが、修辞学(レトリック)教授のヴィーコは、フランシス・ベーコンの<トポス論>に依拠して、反デカルトのクリティカ先行主義に対抗し、もう一つの<トピカ>に注目し、真か偽かだけではなく、この共通感覚によって歴史を解釈しようとし、その実践的な知恵も共通感覚によって救い出そうとした。その本が「新しい学」だった。トピカは発見の知のことで、身体感覚を用いて知のトポスを再現出来る様にするシステム、新しい学を考えたが、時代はやがて視聴覚優先になり、産業革命では匂いの臭さ、肌で感じる触覚、味覚等のトポスは置き忘れていく。レトリックが共通感覚に依拠したものでない限り、説得力が生まれない。この論理は「
学問の方法 (岩波文庫)
」で述べられている。
この感覚の共有化が失われたことが、場所という感覚も失い、さらにインターネットの普及によって、グーグルマップで視覚旅行は出来ても、大地の匂いを今や感じなくなってはいないだろうか?VRで触覚の一部は伝わる様になっても、匂いだけはネットで伝わることは当分なさそうだ。このことが、場所の感覚を取り戻すことを難しくしている。美味しいラーメンの匂いばかり追っていても駄目なのだ。近いうちに、京都に行けばお寺の匂い、触覚等の微妙な「さわり」といった感覚すら、徐々に失われていくだろう。繊細な感性が鈍くなったことで、KYが増え、パワハラやセクハラが問題視されていったのはその<共通感覚の喪失>によるものではないだろうか?その<共通感覚>的繊細さを取り戻すことは、これから環境問題を考える意味でも重要な「感性」ではないかと思う。
私の主観的な考えで恐縮だが、視聴覚優先が、その現場感覚すら奪っていったと思うのだ。
ハンナ・アーレントは著書「
人間の条件 (ちくま学芸文庫)
」で「この感覚(共通感覚)を奪われると、人間とはまことに、論理的に考えることのできる動物以上のものではない」と喝破している。これは、アイヒマン裁判(「
エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】
」)を傍聴し、「悪の陳腐さ」を述べたことと共通している。アイヒマンという、本来のごく普通の人間がアウシュビッツという特殊な環境で、さらにナチスの「視聴覚優先」の「洗脳」によって論理的思考を奪われた人による大罪である。最近、社会不適合者が増えているのも、この「共通感覚」が奪われた無知な人々が増えている為ではないだろうか?過去ではそれを病理とは扱わずにある社会的なトポスがあったが、ミシェル・フーコーも「
狂気の歴史―古典主義時代における
」で述べている通り、それを病理として排除をしたのも、社会から適合しないと判断(クリティカ)したからに他ならない。この行為こそ現代の最大の病理ではないか!
日本人が外国人に抵抗感が多いのはその「臭い」に嫌悪感があるとそろそろ言うべきだろう。一方日本人だって、抗菌しすぎて「日本人の中には口から糞の臭いがする人が多い」と言われているのだよ!そういう所を指摘出来ないのは、エチケットなのかはわからんが、昨今の日本人は臭いの指摘を避けている様だ。私も家族の人によくそこを常に確認してもらっている。今のところ大丈夫だ(笑)。自分の臭いは慣れっこだから気づかないだけなのだ。
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共通感覚論―知の組みかえのために (1979年) (岩波現代選書〈27〉) 単行本 – 1979/5/28
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